【BACK FROM THE GRAVE】(奴らを墓から叩き起こせ!マイ・フェイバリット!)
009【私的「ブラック・ジャック」エピソード10選】

 2003年2月号の雑誌「ダ・ヴィンチ」は手塚治虫「ブラック・ジャック」の特集であった。読者からの人気エピソードのランキングもあり、第1位はピノコ誕生秘話「畸形脳腫」であったが、ん?そんなにいいかなコレ?ピノコ初登場ということで印象に残ってるだけじゃないの?あと人気が高かったのが「おばあちゃん」で、ん?こんな人情垂れ流し話がそんなにいいのかな?などと個人的には首をかしげてしまいましたので、今回はすうさい堂の独断と偏見による「ブラック・ジャック(以下BJ)」名エピソード10選をお送りする。このコラムを書くにあたって手持ちのBJ全集(講談社文庫全20巻)すべてに目を通した結果、ハードボイルドよりになってしまったが、とかく「ヒューマニズム」のくくりで手塚が語られるのがたまらんのだ。っていうかそれはそれでいいんだけれども、彼はいわゆる名作と同じくらいモンドな作品を世に送り出していて(ばるぼら、アイ・エル、やけっぱちのマリア、人間昆虫記など)自分としてはそちらの方が面白いくらいだ。もちろん「奇子」のドロドロ人間模様や「イエロー・ダスト」のような鬼畜な短編も一読をお薦めする。彼は人間的には小物だったようで、薄い頭を気にして来客中は部屋でもベレー帽をとらなかったとか、斬新な新人(大友克弘など)などが登場してくるとその才能に思い切り嫉妬していたとか、そんな側面を知っているということが手塚治虫を把握する上で結構大事なんじゃないかという気がする。神聖化された手塚像なんてつぶれたらいいと思う。神様じゃねえっつうんだ(もちろん、手塚先生は尊敬してます!)。
 「BJ」は愛や友情や人情や希望や絶望や死や破壊や猟奇や狂気や不条理をぶちこんだ人間ドラマの闇鍋だ。なので「ヒューマニズムの雛型」的な作品はあえて避けてのセレクション。固定化したこの作品の評価に一発くらわせてやりたいのである。「ヒューマニズム」が手塚を語る上での一種の偏見になっているような気がしてしょうがない。皆様も足元をすくわれぬように。手塚先生はそんな単純な人間ではない。だからこそ天才なのだ。

■「山手線の哲」

  数あるエピソードの中でもダントツ1位!「山手線の哲」とは国鉄(当時)山手線環内を縄張りとするベテランのスリ師である。ある時哲はヤクザから財布をスッてしまい、それがばれて仕事道具である両手の人差し指と中指を切断されてしまう。そこへかけつけたのが現行犯逮捕しようと長年哲を追っている友引警部。哀願する哲を彼は警察病院に運び込む。他の同僚は「これでもうスリが出来るかどうかもわからない。奴にとってはその方がいいんじゃないか」というのだが、警部は今ひとつ納得がいかない。そして彼はBJに指を「元通り」に動かせるようオペを依頼する。しかも「この依頼を拒否すればお前を無免許医として逮捕する」と職権を濫用し、ほとんど脅迫に近い形で無理矢理BJを承諾させる。やがて哲は退院し、通常に動かせるようになった指を警部に見せるのだが、彼は大いに不満である。「オマンマが食える程度の指ならおれは見たくない!」と哲を追い返すが、いつの間にか自分の警察手帳をスられている。「山手線の哲」完全復活である。そして2人は全快祝いをするために肩を組んで繁華街へ消えていく。「いずれぶちこんでやるぞ」「ま、今夜はそれはいいっこなし」と口々に言いながら。 <BR>どうです?いい話でしょう。このエピソードが素晴らしいのは誰の側にも「正義」が存在しないところ。哲は問答無用の犯罪者であるし、友引は国家権力をふりかざす単なる悪徳刑事(多分スリの被害者の事はまるきり頭にない)。BJに至ってはわが身かわいさに渋々手術を引き受けるだけの単なる脇役。これほどBJの存在感がない回も珍しいかも。「BJ」は小学校高学年くらいからリアルタイムで読んでいたが、これは最高にグサリときた。この一編で、世の中には善や悪では片付かない何かがあるということを教えてもらったのかもしれない。ガキの頃の自分の価値観をひっくり返してくれた傑作。

■「殺しがやってくる」

  スキンヘッドで片目のつぶれた殺し屋(もうこれだけでオッケー)がBJの「命」である指をふっとばしにやってくる、という一編。殺し屋は某国の悪名高い大統領の反対組織から依頼を受けてやってきた。BJが手術で大統領を助けてしまっては困るからである。しかしBJを助けようとしたピノコが車を運転し、あやまって大怪我を負ってしまう。ピノコのオペを済ませるまであんたの「仕事」は待ってくれと頼むBJ。承知する殺し屋。そしてオペに立ち会った彼はピノコの正体を見てしまう。BJの神業的なテクニックとピノコの衝撃にすっかりやられた殺し屋は「そんな大事な指は金庫にでもしまっておけ」と自分の仕事を見送る。帰り際「どうしても助けるのか」と訪ねる彼に「ああ、金をもらったからな」と答えるBJがクール。さて、殺し屋はBJのメスを持てなくさせるという依頼は蹴ってしまったものの、大統領の射殺は見事に成功させる。だが彼もシークレットサービスにより狙撃されてしまう。そこへかけつけるBJ。大統領は即死。殺し屋はまだ息があるので、側近たちは彼を助けて組織の事を聞き出そうとするのだがBJはすげなく「こいつも手遅れだ。ま、死なせておやんなさい」と匙を投げる。殺し屋は満足げにニヤリと笑って息を引き取る。まわりの連中は「なんて評判倒れの医者だ!」と非難轟々だが、BJは奇妙な縁で結ばれた恩義(のようなもの)に報いる事を選択したのである。ヤバい。究極のヒューマニズムってこんな形なのかなあなんて思ったりする。

■「最後に残るもの」

  これは現在手持ちの文庫全集には収録を見送られている実にショッキングな一編。だいぶ前に読んだので詳しい事は忘れてしまったが、たしか五つ子だか六つ子だかの話である。ただしほとんどが体力がないので、瀕死の状態で保護されている。たった一人を除いては。その一人というのがトカゲのような姿で生まれてきた尻尾まであるおぞましい「未熟児」なのである!バタバタ死んでいく正常な姿をした赤ん坊をよそ目に最後まで生き残ったのは父親にも「バケモノ」呼ばわりされている彼だ。BJは死んだ赤ん坊たちの体を使い、この未熟児を正常な人間の姿に整形してしまうという驚愕のストーリー。ここでのBJのテクニックは神業というよりももはや悪魔の仕業である。これはショックだった。命の重さがうんぬんという以前に人間がそんな姿で生まれてしまうという事実が恐ろしかった。やはり小学生の時に読んだトラウマ系エピソードの最高峰。

■「その子を殺すな!」

  患者の体に腕をつっこみ患部を取り出して完治させてしまう心霊治療師がBJと対決する一編。BJは金次第でどんなオペでも引き受けるという事を日本の記者に吹き込まれた心霊治療師は、中絶の手術をしている最中のBJのもとに乗り込んで行き、超能力を使ってBJの持つメスを次々と使えなくさせてしまう。観念したBJに変わり治療師は「これが私のやり方だ」と妊婦の体に腕をつっこみ、赤ん坊をつかみ出していく。が、出てきたのはカエルのような脳みそが欠落している「無頭児」だった!驚愕する治療師にBJが言い放つ。「そんな子は殺せ!医者はな ときには患者のためなら悪魔になることだってあるんだぜ!」。『世紀末倶楽部』なんかを見ていると時々どう説明していいものやら言葉に困る奇形児の写真が載っていたりする。神さんも残酷な「福笑い」をするもんだと思う。BJのこの言葉は悪魔の慈愛である。

■「死への一時間」

  この作品中のキャラで一番好きな、「ドクター・キリコ」が登場するエピソードの中でも最も好きな一編。ニューヨークで偶然出会ったBJとキリコ。彼らの主張は水と油なので、当然議論になる。そして2人の会話中の「楽になる薬」という断片を聞いたかっぱらい常習犯の少年が、キリコの鞄を盗む。当然中に入っているその薬は人を安楽死させるためのもの。それを少年は病弱な母親に飲ませてしまう。死へのカウントダウンの始まりである。少年の居場所をつきとめたBJは、持ち主であるキリコを探させる。キリコが到着すると2人はファインプレーで母親を病院に運ばせ、ギリギリでオペを成功させ命を救う。その間も「どうせダメさ」と言うキリコと「意地でも助ける」BJのメンタリティは対立している。場所は変わって屋上で物思いにふけるキリコ。そこへやってくるBJ。「どうだい大将、殺すのと助けるのとどっちが気分がいい?」キリコ「ふざけるな。おれも医者のはしくれだ。いのちが助かるにこしたことはないさ」「ところでこの手術代は誰が払ってくれるのかな。ずーっとたどってみるとどうもお前さんらしいな」「ばか!せっかくの気分をぶち壊すな!」というラストの小粋なネームが美しい余韻を残す。ここでも「悪」であるはずのキリコがBJの行動に飲み込まれ、化学反応を起こしている。ドクター・キリコって意外といい奴なんじゃないの。

■「がめつい同士」

  五千万円の治療費を請求するBJとその支払いを渋るドケチの高利貸し。BJの最終警告は「あんたの病気は再発する。あれは私でないと治せない」である。これによってさすがに観念した高利貸しは「先生のやり方をよーく参考にしてもらいマ」と取り立て先の工場主より五千万円分の工場の権利書を取り上げ、それをBJに渡す。その直後、文無しになった工場主一家はトラックに飛び込み心中を図る。たまたま高利貸しと現場の近くにいたBJは、すかさず応急処置をして彼らの命を救う。その後一家の入院先の院長がBJを見かけ、今回の治療費を請求してくれと頼むが、BJはすげなく「あんなものはお金をもらうほどのものじゃない」と拒む。それでも、と食い下がる院長にBJが示した金額は「50円」。更に高利貸しから受け取った権利書を「予防薬です。患者に」と渡してしまい、高利貸しの儲けも取り上げてしまうのである。「あんたは言った。私の方式をそっくそのまま真似しますって・・・」。愕然とした彼は「五千万の値打ちがあるものをほってしまうなんて先生はアホや!」と悔し涙のカップ酒をあおるが、BJが「今度あんたの病気が再発したらひとつ50円で治してあげますよ」というやいなや「ヒャアおおきに!」とここの酒代をもつ現金さである。BJの気まぐれさとお茶目さをよくあらわした好編。人情ものはこのくらいさっぱりしているのがいい。
  
■「報復」

  BJが日本医師連盟に呼び出され、きちんと医師免許を取得し、正規の料金をとるように諭される。だが彼らの警告を拒否したBJは監獄にぶちこまれてしまう。そこへ訪ねてくるイタリアの億万長者・ボッケリーニ。「自分の子供を助けられるのはあなたしかいない」とオペを依頼するが、「今はこんな身の上なのでどうにもできない」とBJ。ボッケリーニは何とかBJを出してくれるよう医師連盟会長に直談判するが、彼には彼のプライドがあり、これを拒否。仕方なく氏はオペを連盟から薦められた他の医師に任せるが、突然発作を起こして子供は死んでしまう。怒り心頭のボッケリーニ。実は彼はイタリア・マフィアのゴッドファーザーであり、部下に命令してフライト直前に会長の息子を狙撃させる。瀕死の重傷の息子を助けられるのはBJしかいないと聞いた会長は医師免許を手土産に監獄に面接に行き、泣きながら自分の息子を助けてくれと哀願するが、免許をビリビリと引き裂いたBJが会長を見下ろしている、というのが最後のコマとなっている。通常ならばここからクライマックスなのだが・・・。BJのことであるからこの依頼を受け、見事にオペを成功させるというオチが予想されるが、この後も彼は無免許医を続けているので「あるいは・・・」というもうひとつの結末も予想される衝撃の一編。

■「不発弾」

  BJの一代復讐記。なにしろ標的を気球の搭乗券が当たったと招待させるとろから始まっているので、その「罠」は用意周到である。当然BJも同乗し、離れ小島に計画的に気球を不時着させる。そこには地雷があちこちに埋めてあり、「運がよければ助かる。大けがしたら私が治してやる」とだけ言い残し、BJは島を去ってしまう。実はこの標的(井立原)は不発弾を撤去せぬままBJ一家が家を建てて住むための土地を譲り渡した自衛隊の工作員のひとりなのだった。自分に瀕死の重傷を負わせ、母親を不具者にし、家庭を崩壊させた連中に復讐する事を少年時代のBJは誓う。案の定、油断した井立原は地雷を爆発させ大怪我を負ってしまう。そこへヘリコプターで降りてくるBJ。彼の治療をするためである。これで一応、井立原という男に対する復讐は終わったのだが、もちろん彼からの自白テープを録音する事は忘れない。殺人未遂で訴えられないための防御策だ。今回の相手は「腸を少しと肝臓ひとつと足に肉を少々」ですんだのでとりあえずはラッキーと言えるだろう。バラバラに吹っ飛ばされる可能性もあるのだから。不発弾の工事関係者に制裁を加えるのがライフワークであるらしく、「あと4人か!」とつぶやく彼がいる。ダーティーBJの代表作。とかく神聖視されがちなこの作品だが、中にはこんなサディスティックなエピソードもあるのだった。復讐のためとはいえ、そこまでやっていいものだろうか。「殺人も厭わぬ」BJですよ!うがった見方かも知れないが、このようなエゴイストで残酷なBJの一面を描く事によって、手塚はこの作品の「ガス抜き」をしていたのかも知れない。善玉BJばっかり描いてたら、疲れるもんな。

■「白い正義」

  BJのスタンスを明確に描いた一編。とあるボンボンの青年医師が旅客機内で脳腫瘍らしき夫(ツモ・リー氏)を連れた夫婦に気づく。執刀医は誰かと夫人に訪ねるとBJだと言う。「あんなクズにまかせるわかにはいかない!」と彼はこの患者を「正義感」故に引き取り、自分が執刀する段取りを組む。当然怒り心頭で彼に話をつけに来るBJだが、けんもほろろに追い返されてしまう。帰宅したBJを待ち受けていたのはマフィアらしき男たちの一団(一人は明らかにブロンソンがモデル)。「ボスの命令でおれたちはツモ・リーを消さなければいけない。やつの居場所を教えろ」とBJにリンチを加える男たち。やがて彼の入院先のメモをBJの机の引出しから発見してしまう。それを見たピノコは入院先の病院へ「ツモって人、こよさえゆ!」と電話を入れているところを部下の一人に見つかり、ピストルで撃たれてしまう。それを見たBJはメスを投げつけ一味を撃退、病院へ行った連中も逮捕される。夫人も髪の毛の中に麻薬を隠しており、夫の病気を隠れ蓑に薬物を運ぼうとしていたのだ。自宅にかけつけた青年医師にBJは「患者はね・・・いい人間ばっかりとは限らないんですぜ」「おまえさんのような育ちのいい正義の味方にゃ通用しない世界でねえ」「そういう連中のために私のような立場の医者も必要なんだ」と諭す。ここにも善や悪では計りきれない闇の部分を司る者が必要なのだ、という事を読むものに秀逸に伝えている。

■「ハリケーン」

  これはすごく好きな一編。ある離れ小島へ大富豪クロスワードのガンの手術を行うためにやってきたBJ。依頼主はクロスワードの甥と、クロスワード夫人。実は彼らは病気を治してもらう事などどうでもよく、「どうやったらあの人に遺言状を書かせるかが問題」なので「あっさり死んじまうと困る」のである。もちろん2人は不倫している。やがてこの小島は大型台風の通過点となり、夜明け前にこの島を脱出しないと全員助からないという状況に陥るのだが、飛行機はパイロットを含め3人しか乗る事が出来ない。結局夫人や甥などの醜い本音をさらけ出した小競り合いがあったのち、BJとクロスワードを置き去りに飛行機はこの島を去っていく。残された2人は自らの体をロープに吊るして隠れ、台風が通過するまでふんばり、難を逃れる。井戸から出てきた彼らが見たものは墜落した軽便機の姿であった。クロスワードはつぶやく。「皮肉なもんじゃ。助かりたいやつがみんな死んで、助かりそうもない人間が生きのびた」「それが人生かもしれんな」。ま、この話を「人生とはままならないものである」と教訓として胸に刻み込むのもそれはそれでよろしいが、純粋にハードボイルドBJの最高峰として楽しみたいと思う。こんなのが毎週『少年チャンピオン』に載ってたんだからね。ヤバイよね。

【BACK FROM THE GRAVE】目次に戻る

【古本すうさい堂電脳部門】目次に戻る

【古本すうさい堂電脳部門】トップページに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送